蛇の道脱出作戦
蛇の道を歩んできたとしても、
ここから進む道は別の道にする事はまちがいなく可能である。
それは自ずと蛇の道になるように選択し進んできたのが原因で自分自身で変える事が出来るからだ。きっと、自分自身でも思い当たる節はあるはず。
では仮に治らない患いや不意の事故の表現を蛇の道というかと言えば言わない。あくまでもが選択してきた事でをここでは当てはめたい。
ある日にあそこに出向かなければという自分自身の選択と外的要素からなる部分を細かく言っているつもりはないのである。
それでも蛇の道と捉える人間にはどうぞ「哲学の道」に進んで頂きたい。
蛇の道の先には不幸しか待っていなく界王も精神と時の部屋など存在しない。
ドラゴンボールという漫画の世界観だけだ。
 
人生は常に選択を求められる。
1つしか道は無いという事はない。
考えられていないだけで、突破口は常にある。
大きな壁の突破口は常に先人にある。と思っている。
先人とは10年や100年前と言っているわけではなく、はたまた、歴史上の人物と言っているわけでもなく、昨日や一昨日の身の回りの知人や家族も先人に当てはまる。
会話でもSNSでも得られる事は十分にある。
選択肢を広げるアイテムは書籍(電子書籍も含む)につきるだろう。
書籍はその時点でのその人の過去が反映されて言葉になっているものだ。
そして何度でも見返す事が出来る。
その時、時間が経ってから読んでも同じ捉え方、もしくは別の捉え方を自分自身がする事だと思う。そこには自分自身のその時点での過去を反映して捉えるからである。
 
書籍は良い。
その人のバックボーンを知るという理由でも良いし、
言葉のボキャブラリーを増やすという事でも良い。
小説ならイメージする事を鍛えられ、また専門書では専門知識が得られる。
蛇の道といばらの道はまったくもって別ものだ。
蛇の道は自分の選択で回避可能だがいばらの道を回避する事は不可能だ。
世の中には「100%○○だ」みたいな事が日常会話でもしばしば聞かれるが、
ジョークで言っているようなものだという事は認識しているだろう。
しかし、世の中に100%○○と例える事が出来るものが存在していると自分では思っている。
 
それは、ほかならない人生だ。
 
人生はいばらの道だ。
そのいばらの道は100%回避不可能だ。
 
だが、いばらの道も軽減する事は出来る。
それが常日頃と立たされる選択するという場面。
これをその時の自分の心で決断し進んでいく。
その時に自分の今から過去の人生経験だけでは、よりいばらの道へと進んでしまうかもしれない。
そこで先人の人生をも吸収し自分と合わせる事で、
その場面で選択肢を増やす事が出来るだろう。
傷つく事もあるし、選んだ選択が間違いだったかもしれないと迷いがでる事もあるかもしれない。
しかし、タイムマシーンも存在していなければ、
タイムリープも恐らくごくごく一部の人間しか出来ないだろう。
何が言いたいかというと、
過去を見るよりも今目の前をよく観察した方が何百倍も良いだろう。という事だ。
そして選択する場面ではまた次の扉をあげて進んでいく。
進む先は人によりけりだろう。誰1人として同じ先は無い。
自分はいまだ相方はいないが、それは夫婦でもきっと同じなのだろう。
どれだけ仲慎ましい夫婦でも外的要素が無い限りは、
同じ日時に自然他界する事は難しいからだ。
それが個人の人生。
斯くして、蛇の道の果てのバブルスも存在しないのも千里の道も一歩から。
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