何か一つでも昨日とは違うことを
今をただ生きている事に焦る必要も無いが、
楽しさを感じられるかという点に趣を置いている。
決して、楽=楽しいと言っているわけでもなくて、
難しいけどそこを突破出来た時の気持ちは嬉しいや楽しいに繋がる。
 
ゲームに例えるとわかりやすいのかもしれない。と、ふとゲームを例にしたが、もう久しくゲームはやっていない。
スマホでもゲームアプリは入れていないし、コンシューマゲームもだいぶ昔にやったきりだ。
PS3は過去に購入したが、DVD再生機化してしまっていたし、今はテレビも持っていないのでゲームもDVD再生機としても使用はしていなく埃をかぶったままだ。
きっと今の自分にはテレビもゲームにもそこに楽しいを見いだせないので必要無いという事なのだろう。
※DVDはPCで見ています
 
その楽しいという感情は人それぞれで違うが、
自分の場合は何か1つでも昨日とは違う部分がある事。
ここに楽しさというのを感じている。
よく「自分の成長のために~」とは言うが、自分の場合は成長という言葉よりも楽しさという表現がしっくりくる。
昨日とは違うって具体にどういう事?と思われるかもしれないが、
特段と難しい事でもなんでもなく、例えば、何か欲しい物を思いつきそれについて調べたり、ある土地の観光地や名産やお祭り、
youtubeで音楽や動画を見ても良いし、本を読み進めたり、知らない土地に行って駅周辺を散歩探索してみたりとか、
今は打ち込んでいる趣味が無いので思いついた事をやってみている。
その昨日とは違う事、知識や経験を問わずで積み重ねて行く事に楽しさを感じている。
ただ本については、継続して読まないとほぼほぼ覚えていない状態になってしまうので、
読む時は一気に時間をそこに集約するようにしている。
最近はわりと本を読む事、DVDを見る事が多くなってきてそこに時間を使っている。
という訳で、ブログの更新も滞ってしまっていた。という言い訳は隠しきれないのである。
 
過去には打ち込んでいる何かがある人を羨ましく思う気持ちも正直あったのだが、今はまったくそういう気持ちも起こらなくなった。
別に他人に無関心という事とは違くて興味が湧く事ももちろんある。
だが、他人は他人、自分は自分という意識ははっきりと持っているんじゃないかとは思う。
自分には何も無いとネガティブになっている方がいたら、自分も一緒だよという事が伝わる事があったなら嬉しく思う。
なぜなら、他の人から見たら、上記に書いた事はただ日常を生きているだけだと思う人もいると思います。
だけど、ただ生きているだけとは自分は思っていないのでそれで良いと思うんです。生き辛くしているのは自分自身で、それは(無意識にでも)他人と比べているからに過ぎないと思います。
辛く生きるよりも、自分が楽しいを感じられればそれで良しです。
人生の正解は存在していないのですから。
斯くして、雨続きで太陽が恋しいのも千里の道も一歩から。
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