相手を変える事は出来ない。自分が変わるしか無い
自分の拘りは他人には受け入れられない事がある。
相手を変える事は出来ない。自分が変わるしか無いのである。
誰にでも拘りはある。
風呂は髪を洗ってから湯船に浸かる。髪と身体を洗ってから湯船に入る。
椅子を使用して頭や体を洗う。スマホを持ち込んで音楽や動画を見る。
いきなり湯船に浸かる。髪を洗ってリンスをした状態で湯船に浸かる。
軽く上げただけでも多数存在する。風呂の入り方1つを持ってしても十人十色である。
だが、世の中には自分の拘りがすべて正しいかのように人に強要する人間がいる。
「これはこれにこう良い面があるのでこやると良いよ」はアドバイスである。
相手が拒んでいるのに対してもなお「これはこういう風にやってください」は強要である。
最初に言っておきたいのだが、アドバイス、強要、指導は別物である。
980円の価格で販売している物に対して、1000円を受け取ったら20円のお釣りである。
これはそういう決まり事なので100円を渡そうとしたらそれは間違いであるので直してもらう必要がある。
決まっている事が出来ていない事に対しては指導である。
冒頭にも書いたが、風呂に入る事ですら多数の各人の拘り(習慣)が存在している。
仕事の面においてもそうだろう。拘りを押し付けてくる人間は人を変えようとする人間なのである。
 
まずは人を変える事は難しい。
いや、むしろほぼほぼ出来ないと思った方が良いだろうと思う。
自分自身が変わる他ない。それが出来ずに他人に対して我慢が出来ずに口を出したいという人もいる。
これはかなり手こずる。
他人を変える事は出来ないと書いた。
ここまで書いたらもうお分かりだろう。
そう、「他人に対して我慢が出来ずに口を出す事を止めてもらう事」が出来ないのである。何人からも苦情がある事を告げてもあまり効果は無いだろう。本人がそれが正しい事だと思っているからである。
その為に、人を変える事は難しいからである。
 
ただこういった多数の人間とは合わないが、一人で切り抜く実力がある場合がある。
なるべくその個人、または、その人と相性の良い人間でお任せする事で解決する事が出来るだろう。
何も嫌味があってやたらと口を出すわけではなく、拘りが強い為に人にまで強要しているのであって能力が無いわけではないからだ。
その為に難しいと思うのであるが、あくまでも対応の例を書いて見たのだが1つの例である。
 
拘りは自分の中で持つ事は大事だと思っている。
人に合わせる必要も無く、どんどん自分の拘りを持つべきであって自分自身のカラーを形成していく事に賛成である。
ただ、拘りはあくまで自分自身の中での事なのである。
相手が嫌がる事に対してやらせる事は強要である。という事は理解して頂きたい所だ。
意見の食い違いは起こる。感情的ではない対話は必要である。
それでより良いアイデアや作品が生まれる事だろう。
「相手を変える事は出来ない。自分が変わるしか無いのである。」
自分自身を変える事が出来ない環境であればあなたの居場所ではないと思った方が良いだろう。
自分自身が我慢をする形になり辛くなるだけであるからだ。
無理をしても長くは続かないのである。
斯くして、己を知る事も千里の道も一歩から。
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