根拠を持て
根拠とはその物事の理由。
根拠が無いとはその物事の道理からなる結果を説明出来ないという事になる。
だけども、人を納得させる根拠は必ずしも必要ではない。
なぜかというと、例えば仕事のシーンにおいて、友人関係や家族でも誰しもが経験があるだろう。自分が提示する根拠に納得をしない人間もいるからだ。明らかなる根拠でも人が違えばその物事の根拠ではなくなる。満場一致で納得して解決される事の方が稀であると言える。
 
自分は頭の回転が速かったり、気転が利くわけではないのでその場判断での瞬時には出来ないが、物事に対して揚げ足を取るという事は出来る人は簡単に出来るらしい。
それが故に色々な考え方がその時代を経過して新たなるものが生まれてきた。
哲学なんかはわかりやすいのかもしれない。その時代を反映して都度変わってきている様子だ。真理なんて難しい事柄なんてあったりするが、根拠はもとより真理も個人の価値観だと思っている。
 
兎にも角にもその時点での根拠を持つ事が大事だと思う。
その時の自分の道理が間違っていても良いとさえ思っている。
個人の価値観って言っているのに根拠は必要なの?と思うかもしれないが間違いなく必要だと言える。なぜかというと、根拠を探す事は、考える事、勉強する事に繋がっているからだ。説明が出来ない場合は根拠が無い状態で、自分自身でも曖昧な状態であると言える。それではよろしくはない。その物事に対して今現在の自分の根拠を探しだし納得する。そうする事での根拠を持つという事はとても重要だと思うようになった。
 
人生は死ぬまで勉強をしなくてはならない。現状維持はその言葉通りその時点を維持している事になる。つまり成長がストップする事になる。
過去を見返した時、もしくは数か月前でも良いのだが何も変わっていない思うのであれば努力をしていないか努力が足りていない証拠なのだろう。何も変わらない事を望んでいない限りは、時間を無駄に過ごしてきてしまった事に後悔の念を抱いてしまう。
根拠を探す事は考える事、勉強する事である。
変わりたいと願い、行動にでる。
願いだけでは何も変わらないからだ。
人生の最後の瞬間に良い人生だったと思えるよう色々と試していきたいと思う。
斯くして、自分の存在根拠も千里の道も一歩から。
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