仕事に囚われずに生きるためには
「仕事をしているからこそ休みの有難さがわかるでしょ?」とドヤ顔を決め込んで話をする人間が周りにいたりしないだろうか。SNSの世界でもわりと見かけるような気もしますね。
一般的な5勤2休や4勤3休と決まっている仕事サイクルでの「仕事をしているからこそ休日に感謝」というような通例の休みに関しての意見である。例えば、平日しか開いていない役所での手続きの為に有給休暇をもらえたので有難いというような「通例ではない事での休みに感謝」という事は「仕事をしているからこそ休日に感謝」という事にはならないので例外である。
仕事をしている人は通勤時間や拘束時間がある為に、趣味だったり好きな事に費やす時間が休日よりも少ないよねと言いたいのだろう。言われなくても誰しもが理解していてわざわざ言う必要性が感じられなく休日に感謝するという事ではなく自由な時間があるというだけなので不思議で仕方ない。
「だから何?」と思ってしまうのでとても視野の狭い意見だと感じる。マウントでもとりに来ているのであれば可哀想にさえ思う。
そもそもでこのような発言に対して、「仕事に囚われていて日々に不満を持っている人」と思われてしまうし何も良い事はないと思うので今すぐこのような思考はやめておいた方が良いと思う。とはいえ、こうやって思考する事が出来るので色々な人間の意見はとても参考になるし面白いと素直に思う。
屁理屈でもなんでもない率直な意見として、「では、仕事をしていない人は日々に有難みを感じる事が出来ないのか?」という疑問が沸いた。たいていこういう質問をされた人間は答える事が出来なかったり、それは揚げ足取りと言ってきたりや屁理屈だと言ってくるのではないかと思う。ごく少数はもっと深く考えている回答をくれるかもしれないがほんのごく一部だろうと思う。
自分は攻撃的な人間ではないし、興味の無い内容の人の意見なのであえてディスカッションする事はしない。
 
このような発言をする人はとどのつまり、足枷が無く趣味にしている事に没頭したりや出かけたりや友達と会ったりできるので、「自分の思い通りに出来る事で有難みを感じている」という事を言いたいのだろう。けれどもそもそもの前提として「有難みの感じ方は人それぞれ」だ。とどのつまり、休日=自由な日=感謝というこの考え自体が「仕事に囚われている人」だと思っている。とどのつまりが言いたくてとどのつまりを言っているわけではないのでとどのつまり悪しからず。
その仕事に対して生活の為に嫌々やっているか、あるいは自分が興味の無い事を仕事にしてしまっているので「囚われて」しまっているのだと思う。恐らく知らず知らずのうちに「休日に感謝」というとらえ方になってしまったのだと思う。
病気による身体の都合上や専業主婦/主夫、他にも各人の置かれた環境で会社に属していなかったりフリーランスでも仕事をしていないなどのように「各人の都合で自身で金銭を得ていない」という人もいる。
そういう人達は大袈裟に書くと日々が自由な日という事になるが仕事をしているわけで無いので「休日」ではない。ではそういう人達は日々に有難みを感じる事はないのか。となるが、各人の身体や環境による意識こそ違うがきっとそれは無いだろう。日々で感謝を感じている人もいればそうでない人もいるはずだからである。
 
では、仕事に囚われないようにするにはどうしたらよいのか?
興味のある事、好きな事と思える仕事に就くこと。
個人的な結論だがこれしかないと思っている。自分もそうだったが無駄にはならないし自分を知るナレッジも出来上がるので良いと思います。
 
自分は感謝の気持ちになる事がわりとある。例えば、物を落とした時に一緒に拾ってくれる人に対して、具合が悪そうだけど大丈夫かと声がけをしてくれるような人に対してはもちろんの事、毎日風呂に入れる事やガスコンロを使用して料理が出来て暖かい食べ物が食べれる事、近隣の住人が物静かなので夜に睡眠が十分な睡眠がとれる事というような日常的な物事に対しても思えている。人に対して感謝の気持ちをもって言葉にする事は当たり前のように出来るようになるはずです。
このようにブログを書く環境も出来ているし、さらに貴重である時間を割いてまで読んでくれている人もいる(大変有難く思っており感謝しています!)自分の意識さえ変われば日々は感謝となるはずで仕事なんかに囚われない生き方が出来るようになると思います。
斯くして、囚われずに生きるのも千里の道も一歩から。
スポンサードリンク