ルーチンほど退屈なことはない
ルーチンという言葉がある。
ずいぶんと前からだがよく聞くようになったので、
聞いた事はあるだろう。
意味合いとしたは以下だ。
決まり切った手続きや仕事の事。日課。定常処理
 
しかし、気付かずうちになんでもかんでもつまらないルーチン化となってはいまいだろうか。
 
何が言いたいのかというと、
生活そのものが、いや、人生がルーチン化していないだろうか。という事を言いたいわけである。
 
毎日朝起きて、仕事 or 家事 or 学校をこなして帰って寝ておきてのループがそれだ。
気付いてはいるが、これといった趣味も無いし、
何を変えたら良いかわからないと思うかも知れない。
例えば、最寄りの駅から2駅手前で歩いて帰る、いつもとは違う道に行く、
ベンチで数分お茶をする、コンビニを変える、美術館に行く、東京駅まで駅弁を買いに行く、
○○サービスエリアで食事するのように気兼ねなく変える事は何でもできるだろう。
毎日すべて違う事をするというのはなかなか難しいが、
人生のルーチン化を少しでも変えて、ルーチン化に流されない事を意識して生きていく事で、
見えてくる何かがあるかもしれない。
ルーチン化しない事自体がルーチン化しているという屁理屈はおいておこう。
窮屈な思考をする人間は相手にする必要が無い。
メモをとっておくと、自分なりのナレッジが出来上がり、
やりたい事が見つかったりする場合もあると思う。
小さく始められる事で石橋を叩いて渡る必要も無いだろう。
攻めの姿勢で行動をしていこう。
斯くして、兎にも角にも千里の道も一歩から。
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